中谷 割烹・料亭
春分は、夜が長い暗い冬から、昼がだんだん長くなり、昼と夜の長さが同じになる日です。
この日を昔の人は「自然に感謝し春を祝福する日」だと感じていました。地方によってはこの日の前後に、家族でご先祖様のお墓参りに行く習慣もあります。
春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)を彼岸と呼びます。 最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)といいます。
彼岸は向う岸、こちら側は此岸(しがん)といいます。
向う岸は先祖の霊が安らかにいる極楽浄土であり、こちら側は生老病死の四苦、百八の煩悩のある現世です。彼岸の期間はお墓参り、先祖供養はもちろんですが、今ここに生かされている命の尊さを知って感謝する日でありましょう。
桓武天皇の御代に王位継承問題で早良(さわら)親王が無念の死をとげると、その後次々と桓武天皇の御身内が亡くなり、巷(ちまた)では、天然痘が流行して死者が続出しました。人々は早良親王のたたりではないかと恐れました。そこで天皇は親王の御霊をなぐさめるために御霊神社に祀り、彼岸会(ひがんえ、806年)をとり行いました。これが日本の彼岸会の始まりだそうです。
依頼春分の日は、春季皇霊祭となり、天皇が皇霊殿で歴代の天皇の御霊を祭られる儀式が行われる、国家の祭日となりました。
昭和23年、国民の祝日となりました。
彼岸には一般的に江戸時代からの風習でぼた餅を供えます。ぼた餅はもち米とうるち米(普通の米)を混ぜて炊いて作りますが、うるち米に粟を入れて炊くこともあります。粟は日本の五穀の一つで秋に収穫され、ひなびた味わいがあり、軽くておなかに優しいと感じです。多くの和菓子がそうですが、隠し味として餡にごくわずかの塩を加えるか、搗いたものを握るときに手を適度な塩水に浸してから握ることで、より一層甘味が引き立ちます。
秋分は、夏の明るい昼間がだんだん短くなり、日の入りが早くなって、昼と夜の長さが同じになる日です。
秋分の日を中心とした一週間を「秋彼岸〔あきひがん〕」と言います。各家々では、家族そろってお墓参りに行ったり、祖先を供養する「法会〔ほうえ〕」が行われたりします。
秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間を彼岸と言います。 最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」(あるいは地方によっては「はしりくち」)といいます。
彼岸は向う岸、こちら側は此岸(しがん)といいます。
向う岸は先祖の霊が安らかにいる極楽浄土であり、こちら側は生老病死の四苦、百八の煩悩のある現世です。彼岸の期間はお墓参り、先祖供養はもちろんですが、煩悩から解脱し涅槃(ねはん)の境地に達したいと、自らの理想とするところに向って努力する期間でありましょう。
又、亡き人をしのび、今ここに生かされている命の尊さを知って感謝する日でありましょう。
元々農村部では、春分の頃に豊作を祈り、秋分の頃に豊作を祝う自然信仰があり、山の神様である祖先の霊を春分以前に山から里に迎え、秋分以降に里から山へ送る儀式が行われていました。しかし、仏教の浸透とともに秋分は「秋の彼岸」として祖先を供養する意味を持ち始めました。
明治時代に秋分の中日を「秋季皇霊祭〔しゅうきこうれいさい〕」と定め、宮中において祖先をまつる日となった事がきっかけで、一般市民の間でもそのように定着していきました。
1948年には、お寺参りの日・先祖供養の日など、宗教的慣例としてのまつりの日だけではなく、広い意味で「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として国民の祝日に制定されました。
秋彼岸には一般的に江戸時代からの風習で、おはぎを供えます。おはぎはもち米とうるち米(普通の米)を混ぜて炊いて作りますが、うるち米に粟を入れて炊くこともあります。粟は日本の五穀の一つで秋に収穫され、ひなびた味わいがあり、軽くておなかに優しいと感じです。
かつて砂糖が貴重品であった時代には塩餡が用いられていました。来客のもてなしや田植えの後の寄り合い、子供のおやつ、また法要の際などに供されたものです。こし餡のものとつぶし餡のものがあります。 小豆餡のほか、きな粉を用いたもの、青海苔を用いたもの、胡麻を用いたもの、ずんだを用いたものなど様々なものが用いられています。表面に餡をまぶす以外のものでは、にぎり飯の具材のように中に餡を詰めることもあります。
多くの和菓子にいえることですが、隠し味として餡にごくわずかの塩を加えるか、搗いたものを握るときに手を適度な塩水に浸してから握ることで、より一層甘味が引き立ちます。
おはぎとぼた餅の違いについては、諸説あります。
◆春には、ぼたんの花が咲くので牡丹餅といい、秋には萩が咲くのでお萩と呼ぶ。名前が違うだけという説
この場合、今ではほとんど使いませんが、春と秋以外に、夏と冬にも正式な名前があります。
春 牡丹餅 牡丹の花が咲く頃、春の彼岸に神仏や先祖への供物とされた、小豆餡の様子を牡丹の花に見立てたことから。
夏 夜船(よふね) ぼた餅は、餅と作り方が異なり、「ペッタン、ペッタン」という音を出さずに作ります。隣に住む人は、いつ搗いたのか分からない。そこで、「搗き知らず」→「着き知らず」と言葉遊びをして、夜は暗くて船がいつ着いたのか分からないことから。
秋 御萩 牡丹餅と同じく、小豆餡の様子を秋の彼岸の時期に咲く、萩の花に見立てたことから。
冬 北窓(きたまど) 夜船と同様に、「搗き知らず」→「月知らず」と言葉遊びをして、月を知らない、つまり月が見えないのは北側の窓だから。
◆ほとんど同じ物だが、形(大きさ)が違うとする説
この場合、春は牡丹をイメージして大きめに作ったボタッとした感じのものを「ぼたもち」、それに対して秋は萩をイメージして小さく上品に作り上げたものを「おはぎ」と呼ぶというものです。
◆作り方(粒々感とつるつる感の出し方)が違うとする説
「ぼたもち」は、蒸した餅米をつき上げて(餅にして)「こし餡」で包んだもので、これが牡丹の花に似ているところから「牡丹餅」(ぼたもち)と言われ、春の彼岸に供えられるというものです。
「おはぎ」は蒸した餅米の粒を残す程度にこね(餅とお握りの中間ぐらい)、つぶし餡で包んだもので、それが萩の花の咲き乱れている感じから「萩の餅」「おはぎ」と呼ばれ、秋の彼岸に供えられるというものです。
「ぼたもち」は牡丹花のイメージから、お餅もつるつるで、側にまぶすあんこもこし餡を使い、一方「おはぎ」は萩の花のイメージから、半つきのツブツブの餅にあんこも「つぶ餡」をまぶすのだということです。
つまり、蒸した餠米を餠みたいによくつくか、半つきにしてツブツブを残すかの違いです。
諸説あって面白いですね。皆様のおうちではどのような作り方ですか? ぜひ中谷でもお申し付けいただければ、料亭の味をお楽しみいただけることでしょう。
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